デビュー当時は試合を恐れていた
2007年秋のデビュー戦当時のメンタリティは「まだまだ町の喧嘩レベルだった」
梅野はそう振り返る。
「負けたらどうしよう、という考えが先立っていました。相手が3つくらい年下の選手だったんですが、その点もまた変なプレッシャーでした。10代の頃って、年下に負けるのは恥でしょう。戦うかなんて考えられない。負けた場合のこと、なんで試合出場をOKしてしまったんだということばかり考えていました。プロの格闘家の考えではありませんでしたね。」
デビュー戦に勝ち、2戦3戦4戦と経験を積み重ねていったが、そういった考え方は変わらなかった。
「夜、負ける夢を見て目が覚めてしまうこともあった。母親にも『負けたらちょっと旅に出てくる』なんて口にしたりして。あるいは試合前になると『もっと練習すればよかった』とか、『大口叩くんじゃなかったな』と後悔したり」
梅野を変えたタイでの経験
気持ちの弱さとは裏腹に、プロ4戦で4連勝を飾った。転機は5戦目に訪れる。新たなステージが準備されたのだ。2008年12月、タイでの試合だ。ついにムエタイの母国に足を踏み入れたのだ。初めて外国を訪れる機会でもあった。試合の2週間前から現地に入り、その空気に触れた。「いままでフェニックスジムでの練習しか見たことがなかった」という梅野にとって、それは衝撃だった。
小さくて汚いジム。ボロボロのキックパンツの選手とボロボロのミットを持ったトレーナーが向き合っている。食事もたいしたものを食べていない。日本とは違い、練習後に選手がプロテインを飲み、マッサージなどのケアも受けることもなかった。そんな環境だった。
「朝起きて、走ってご飯食べて練習をする。休んでまた夕方から練習して、そして寝る。そういう生活を一緒にやりました。小さくて汚いジムのなかで、みんなひたすらにそういう生活を送っていたんです。小さい子もいた。『そりゃ強くなるよな』と思いました。日本で興味本位で格闘技やって、『俺は強い』なんて言っている人とは違う。ファイトマネーを稼いで、親に楽してもらおうといったモチベーションでやってるんです。ジムに寝泊まりしている選手もいました」
そういった風景も衝撃だったが、梅野にとって重要なことがもう一つあった。再び、新たな世界に足を踏み入れたことだ。中学校時代、ジムに入ってすぐの頃、そこに続くプロデビューからちょうど1年のタイでの試合。梅野は、またしてもたった一人でそこに飛び込み、衝撃を吸収しいった。タイ人のノーランカーに2ラウンドKO勝ちすると、一気にメンタリティが変わっていったのだ。
「そこまで『負けたくない、負けたらどうしよう』と考えていたのが、『どうやったら勝てるだろう』という考えに変わっていった。自分で言うのもなんですが、そこから一気に強くなったと思います」
次回、最終回に続く
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