【KNOCK OUT】KNOCK OUTが梅野源治をインタビュー!梅野源治、学生時代について語る。Vol.1

梅野源治インタビュー Vol.1

ひとりの環境に自ら飛び込んだが、孤独はいやだ。

梅野は01年、13歳の頃、そんな状況にいた。自分の意思ならひとりという状況には立ち向かえるが、意図せず孤立するのは望まない。

東京都江戸川区の「何も言わなくても分かり合える」公立小学校の仲間の輪から、文京区の私立中学へと移った。行った先は中高一貫型で、成績トップクラスの学生は、難関国立大やいわゆる「早慶上智」にも合格していく。

そこが意外に、後に「リング上ではあくまでひとりで戦う」「世界に出ていく」という歩みのベースを生んだのではないか。梅野が振り返る。

梅野源治インタビュー

「入学式の時から、アッと気づいた。みんながひとりで集まってきているという状況だったんです。東京都内や近郊の、違う環境で育ってきた子どもが集まっていた。小さいころにありがちな、すでにいくつかの仲間の輪が出来ていて、どこかに属すれば輪が広がっていくという状況ではなかった」

どうすべきか。梅野は考えた。小学校の頃「仲間がやられたらやり返しにいった」という拳は通用しない。だからといって、「キャラ変え」まではしたくない。自分らしさを出したい。自分が孤独に陥らないため、極端に言えば「生き残るため」、コミュニケーションが必要な状況に追い込まれた。

 テレビで放映される格闘技が、いいツールになった。

「年末の大きな大会もそうだし、それ以外の試合もみんなテレビで観てました。で、翌日はその話題になる。自分からどんどん周りに『格闘技ごっこ』を仕掛けにいくようなところがあって。『やろうぜ』と。みんな集まるんだけど、『顔にパンチだけはまずいからよそう』って。それ以外はどこ蹴ってもいいし、倒していいし、締めてもいいと。よくある遊びですよね。すると周りで見てたやつもそこに加わってくるという」

そうやって遊びながら、「やんちゃ」「暴れるのが好きなんだなこいつ」「負けず嫌い」という姿を周りに伝えていった。ひとりだったからこそ、「自分が何者か」とまず考える機会ができたのだった。

いっぽう、梅野は中学時代、まだまだムエタイのリングには上がっていない。本人は格闘技をやりたがっていたが、「より喧嘩っ早くなってしまうかも」という親の方針もあり、止められていた。部活に入るでもなく、漠然と格闘技への憧れだけが膨らむ時期だった。

それでもこの頃の梅野には、後に繋がる「新しい世界を知る」という経験が出来ていた。

外の世界のいろんな人と出会って、いろんな考え聞いて、その中で自分に必要だなということを自分に採り入れていく。

梅野源治インタビュー

新しい世界に飛び出せば、新しいショックを受ける。梅野はその後、プロデビュー、そしてタイに渡った際に大きな衝撃を経験した。しかし、それは中学受験後の生活で経験済み。東京を一歩も飛び出さずとも「新たな世界」を経験したのだから。

「ずっと同じ環境にいると、やっぱり人脈が広がらないし、考えも狭くなる。外の世界のいろんな人と出会って、いろんな考え聞いて、その中で自分に必要だなということを自分に採り入れていく。重要なことですよね。ずっと同じ仲間といると、心地よいけど、自分の意見を肯定する人ばかりになってしまうし……まあ当時そんなことを思ってはいませんでしたけどね! 今思えば、そういうことだった思うんです」

何かを仕掛けさえすれば、後に思わぬ結果に繋がることもある。でもそれがどうなるかは、後にならないと分からないことも多い。だからこそ、仕掛けなければ始まらない。

梅野の言葉からはそんなことも感じた。

「当時はすごく後悔したんですけど、今になって『中学校から地元を離れてよかったな』と思うことがあります」

続く高校時代、梅野は中学校3年間のキャラクターによりエッジをかけたような生活を送っていく。

インタビュー、書き手:吉崎エイジーニョ(https://twitter.com/eijinho

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